わたしたちのあゆみ

40年のあゆみ(PDF)

石けん運動から区議会議員誕生

1979年

生活クラブ生協の代理人運動から、練馬区で初めての代理人(区議会議員)誕生。

1983年

世田谷区議選で田口イシ子当選。会派名「生活クラブ」。同時期に世田谷「グループ生活者」結成。合成洗剤やごみ問題を追及し、公共施設での石けん利用実態調査を実施。

以降、現在まで、石けんが区内公共施設の標準仕様となっている。食品添加物11品目指定の撤回を求める請願を世田谷区・東京都に提出。

1985年

都議会に北多摩2区から池田敦子当選。「社民党・都民会議」に所属。

1986年

チェルノブイリ原発事故による放射能汚染深刻に。

1987年

田口イシ子に替わり、長谷川かず子、森田イツ子が区議に当選。複数化成功。食品安全条例を求める請願を世田谷区に提出。谷戸川美化運動。

森田イツ子さん街宣
チェルノブイリ原発事故の影響で放射能が検出された国産緑茶を缶詰にして「放射能汚染茶」として保存
1988年

「グループ生活者」から「生活者ネットワーク」に名称変更。部会(水・福祉・食・核)発足。学校給食の食器に関する請願提出、意見付き採択。

1989年

食品安全条例の制定を求める直接請求署名55万筆を持って提出するも都議会で否決される。その後、食品安全関係の予算や施策は大幅に拡充された。都議選に挑戦するが、議席獲得に至らず。

世田谷区においては92年に消費生活条例が制定され、そこに表示や調査、被害救済など食品安全条例で求めていたものが盛り込まれた。

食品安全条例の制定を求める署名活動

区議3人当選!そして都議誕生

1991年

世田谷区議会に3人の議員を送る。長谷川かず子(2期目)、森田イツ子(2期目)、森川礼子(新人)の3人が区議会議員に当選。会派名「生活者ネットワーク」。事務所を世田谷区豪徳寺(1-20-7)に移転。大気汚染調査に取り組む。

地域のイベントで区政相談
1992年

「世田谷代理人運動10周年の集い」開催。廃乾電池回収ポスト設置の請願提出し、ポスト設置が実現。自販機調査。福祉部会が『高齢社会を元気に生きる』を発行。

1993年

都議会議員選挙で大河原雅子当選。「東京を変える」を掲げて東京都議会へ世田谷から初めて議員を送る。米不足による緊急輸入米の残留農薬検査等を実現、学校給食に国産米を確保。

1994年

都議会において、市民と行政の協議会(食品安全について)開催。ベビーフードの残留農薬調査を実現、子どもに合わせた安全基準の必要性を提案。

わくわくシンポジウム
1995年

「きっぱり生活者」を掲げて世田谷区議会に4人の議員を送る。区議会議員選挙で4人当選。長谷川かず子(3期目)、森田イツ子(3期目)、森川礼子(2期目)、西崎光子(新人)。臨海部開発地域見学会、ディベート講座開催。地域で活動する人を招き、金曜サロンを毎月開催。井戸調査をまとめた『世田谷の井戸』冊子発行。

4人の区議当選
水質調査活動
1996年

土地緑地保全法の改正で創設された緑地管理機構制度の活用を大河原雅子と西崎光子の連携した質問で、世田谷区で実現。

1997年

まちのバリアフリーチェックを実施し、政策につなげる。「バリアフリーの東京をつくる」を掲げて都議選に臨むが、議席を失う。防災市民案作りを行う。

バリアフリーの東京をつくる
まちなかでのバリアフリーチェック
1998年

年金問題に取り組み、第3号被保険者問題で提言。環境ホルモンの使用実態調査を都議会で質問。都の対策進む。

議員のローテーション成功

1999年

「子育て介護は社会のしごと」を掲げて都議会補欠選挙と区議会議員選挙に取り組む。大河原雅子、再び都議に。区議会議員は、森川礼子(3期目)、西崎光子(2期目)、そして3期終了の長谷川かず子と森田イツ子が田中優子(新人)、山木きょう子(新人)とバトンタッチ。全員当選。議員のローテーションを実現させた。

生活転換シンポジウム
2000年

東京都に子どもの権利条例制定を求める署名運動に取り組む。世田谷区議会でも子どもの権利宣言や条例制定を求める。

子どもの権利条例 署名活動
2001年

「東京を生活のまちにする」を揚げて都議選に臨み、再選を果たす。大河原雅子(3期目)。都議会生活者ネットワークは6人の会派となる。

2002年

世田谷区で子ども条例制定。化学物質対策を求め、東京都に化学物質の子どもガイドライン策定。田中優子、代理人契約解除。

区議5人に。都議はローテーションならず

2003年

「地域力・市民力 安心・共生のまちをつくる」を掲げ、森川礼子ローテーションにより、6人の候補者を立てて区議選に臨む。惜しくも全員当選はならず、5人当選。西崎光子(3期目)、山木きょう子(2期目)、桜井純子(新人)、竹村津絵(新人)、吉田恵子(新人)で5人会派となり、委員長・副委員長などを担うことが多くなる。東京・生活者ネットワークとして議員年金廃止と年金改正の要望を国に提出。

2003年統一地方選 5人当選
報告集会
2004年

東京都に食品安全条例制定される。

2005年

「働く・育てる・市民力」を掲げて都議選に臨む。大河原雅子(3期終了)に替わって新人擁立するも落選。都議ローテーションに挑戦するが、議席獲得に至らず、東京・生活者ネットワークは3議席確保。

2006年

世田谷区議会で民主党・社会党・生活者ネットワークで合同会派「区民連」を結成。議会基本条例に取り組むが成立はならず。区長選に主体的に取り組む。

2007年

「こだわって地域」を掲げて都議補選、区議選で全員当選を果たす。都議西崎光子(1期目)、区議山木きょう子(3期目)、桜井純子(2期目)、竹村津絵(2期目)、吉田恵子(2期目)。

参議院議員選挙で大河原まさこ(民主党)さんが、1,087,743票で初当選

2008年

「どこで子どもを産みますか」調査を実施。

2009年

「市民が育てる東京・未来」を掲げて都議選に臨み、再選を果たす。西崎光子(2期目)都議1名、区議4名の体制が継続する。東京・生活者ネットワークの都議は3人に。

東日本大震災から再び直接請求へ

2011年

東日本大震災発生。「大事なことは市民が決める」を掲げ、区議選で全員当選を果たす。山木きょう子、竹村津絵、吉田恵子のローテーションにより、新人3人当選。区議は桜井純子(3期目)、植田靖子(新人)、高岡じゅん子(新人)、てるや里美(新人)の4人となる。区長選挙で保坂展人氏を支援し当選。9月から「生活者ネットワーク・社会民主党世田谷区議団」を結成。原発稼働の是非を問う都民投票条例制定を求める直接請求運動を開始。

市民とともにシャボン玉月間首長メッセージ取得活動
2012年

東日本大震災・福島第一原発事故を受けて「原発の是非を問う都民投票条例」制定のための直接請求は、約33万筆を集めて東京都に提出するも、都議会で否決。

世田谷区地域防災計画の見直しにあたり、市民案を提案。防災会議への女性の参画・避難所運営に男女共同参画の視点など、都・区ともに盛り込まれた。

「原発の是非を問う」署名活動
都民投票のココロ@生活クラブ館
2013年

「放射能から子どもを守る」「議会改革」「大事なことは市民が決める」を旗印に都議選に取り組み再選を果たす。都議は西崎光子(3期目)、山内玲子(北多摩2・2期目)、小松久子(杉並・1期目)とともに都議会生活者ネットワークを構成。世田谷区に子どもの人権擁護機関(世田谷子どもホッとサポート)ができる。

参議員選挙東京選挙区で大河原まさこさんを推薦するも議席に届かず。

西崎光子3期目への挑戦

世田谷・生活者ネットワークは、初めての区議誕生から30年を迎えました。

2015年

「ひとりにしない 子育て・介護」「支え合い、分かち合いの地域社会をつくる」をスローガンに区議会議員選挙に5人の候補者を立てるが、2議席の確保にとどまる。高岡じゅん子(2期目)、田中みち子(新人)

国会前アピール
三軒茶屋で5人の候補者が街宣
2016年

参議院選比例代表に挑戦する大河原まさこさんを応援。

2017年

西崎光子(3期終了)都議ローテーションに挑戦するが、議席獲得に至らず。衆議院北関東ブロックで大河原まさこさん(立憲民主党)が議席を獲得。

2019年

4月統一地方選挙で「ひとりにしない 子育て・介護」を目指し区議選せたがや政策を掲げ、3議席を獲得。高岡じゅん子(3期目)、田中みち子(2期目)、金井えり子(新人)の活動をスタート。

「世田谷区に脱炭素・再生可能エネルギーの活用と促進を求める」陳情に取り組む。

経堂駅前新春街宣
地域から政治を変える女性の力で
2020年

コロナ禍、さまざまな活動が制約を受ける。

“女性への暴力”をなくす!
2021年

「いまこそ東京を生活のまちに ~必要なのは住まいと職、医療・介護・教育の充実です。」を掲げ、都議選に挑戦するが、惜しくも落選。

中途障害者となった大河原まさこさん、衆議院東京選挙区比例復活当選をはたす。

いまこそ東京を生活のまちに
都立砧公園「みんなのひろば」で大河原まさこ衆議院議員と

世田谷で40年

2022年

すべての障壁をなくす!バリアフリーのまち世田谷へ。男女平等と多様性が社会を強くする、ジェンダー主流化へ!定例のピースアピール活動も継続している。

福祉のまち梅丘うめとぴあ
ウクライナに平和を
フラワー遊説@用賀